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2008年05月15日

ヒッグス粒子の探索 (2) – Fermiophobic Higgs –

WHWWW

図1:Higgs粒子生成・崩壊過程を示すファインマンダイアグラム. qq‘ →Wh→WWW* のように反応式でも表される.

four_interactions

表1:自然界に存在する4つの相互作用

当研究室が進めている,CDF実験における higgs(ヒッグス)粒子探索の最新結果が公表されました.ヒッグス粒子の一般的な紹介は,2007年9月4日付高エネルギー物理研究室ニュース をご覧下さい.私たちが着目している反応過程は,図1 のようにベクトルボゾン随伴生成(Wh)によりヒッグス粒子が生成され,WW に崩壊するモードです.素粒子物理学の標準模型において,WW への崩壊モードは,ヒッグス粒子の質量が MH > 130 GeV/c² である場合に有力になります.また,私たちは異なる角度からもこの反応過程に着目しています.

標準模型において,ヒッグス粒子は全ての粒子と相互作用し,それらに質量を与える働きを持つと考えられています.ここで,「全ての粒子」についてもう少し詳しくみてみると, 物質の基本粒子であるスピン1/2のフェルミ粒子(クォークや電子等)と,相互作用(力)を媒介する粒子に大別されます.自然界には4つの相互作用があるので,それぞれに対応する,表1 に示すような媒介粒子が存在します.この中で,弱い相互作用を媒介する WZ 粒子のみ,陽子の80倍〜90倍の質量を持っており,他の媒介粒子には質量がありません.例えば,電磁相互作用を媒介する光子は質量が無く,光の速度で飛び回ることは良く知られていることと思います.実は,相互作用を媒介する粒子が質量を持つと困ったことが起こります.

古くから知られている電磁相互作用を足掛かりに,「相互作用の存在」の背後にはある仕組みが存在することが解明されています.それは,基本法則がゲージ対称性という数学的性質を満たさなければならず,そのために必然的に相互作用が必要になる,というものです.そして,この仕組みは,少なくとも重力以外の3つの相互作用の全てにおいて存在しているのです.ところが,相互作用を媒介する粒子が質量を持つと,このゲージ対称性を満たすことが不可能になります.そこで,真空の性質を修正し,それらの粒子はあらわに質量を持っているのではなく,真空の特定の性質を介して質量を持つように振る舞っていると考え,その真空の性質を修正する重要な役目がヒッグス粒子にあるとするのです.このように,相互作用を媒介する粒子がヒッグス粒子により質量を獲得する背景には,相互作用とゲージ対称性という根源的な関係が存在し,ヒッグス粒子との相互作用の仕方もゲージ対称性から厳密に規定されます.

HiggsProdMech

図2:ヒッグズ粒子の生成過程.(a): グルーオン融合生成,(b): ベクトルボゾン随伴生成.

SMhiggs_cs

図3:Tevatron におけるヒッグス粒子の生成断面積.(赤:ベクトルボゾン随伴生成,青:グルーオン融合生成)

SMHiggs_bf

図4:標準模型ヒッグス粒子の崩壊モード.

FPHiggs_bf

図5:Fermiophobic ヒッグス粒子の崩壊モード.

FPHiggs_uplim

図6: CDF実験において, qq‘→Wh→WWW* の反応を用いて得られたヒッグス粒子生成断面積の上限値.

では,物質粒子が質量を持つのは困ったことでしょうか?  私たちの日常的な感覚からするとあまり問題があるようには思えませんが, 再び弱い相互作用において困ったことになります.それは,弱い相互作用がフェルミ粒子に対して示す別の性質が関係しています.スピン1/2の粒子には,いわば回転方向が2つあり,右巻と左巻と呼ばれますが, 弱い相互作用はこの2つを区別しているのです.そして,フェルミ粒子が質量を持つと,この右巻と左巻が混ざってしまい, それらを区別したい弱い相互作用にとって,望ましい状況ではなくなってしまいます.標準模型ではこれを解決するために,こちらも再びヒッグス粒子に登場してもらい, もともとフェルミ粒子は質量が無く,右巻と左巻が独立であるが,ヒッグス粒子により,WZ と同じように質量を獲得した,と考えるのです.同じヒッグス粒子によって全てをいっぺんに解決するため効率的です.しかし一方で,この問題の根底にある,なぜ弱い相互作用が右巻と左巻を区別しているのか,は未解決の謎であり,また,フェルミ粒子とヒッグス粒子の相互作用の仕方は,それを規定する法則も知られていないため,各粒子質量の測定値に合うように調整する,という対処療法の必要があります.従って,フェルミ粒子の質量が,WZ の質量のように,根源的な法則に直接関係する「困ったもの」なのかどうか,今のところ明白とはいえないのでは ないでしょうか.

そこで私たちは,ヒッグス粒子が必ずしもフェルミ粒子と相互作用しない可能性も追求する必要があると 考え,それに対応する探索研究を行っています.図1 からわかるように,ヒッグス粒子は,その生成から崩壊まで,いかなるフェルミ粒子とも相互作用していません.このようなヒッグス粒子を fermiophobic (フェルミオフォビック=フェルミ粒子を嫌う)higgs と呼びます.その生成と崩壊は,標準模型を仮定する場合と大きく異なり, 生成に関しては,例えば図2(a)のような過程は存在しなくなります.この過程は,図3 からわかるように,標準模型の場合には Tevatron における最も大きな生成過程ですが, fermiophobic higgs の場合には,私たちが着目するベクトルボゾン随伴生成が最大過程である可能性が出てきます.崩壊モードも図4 と図5 を比較してわかるように hbb が消え,広い質量領域で h → W+W のモードが主になります.私たちの研究では,W 粒子の崩壊モードとしては,2つがレプトン対(ここでは特に電子と電子ニュートリノ対あるいはミュー粒子とミューニュートリノ対) に崩壊し,しかも終状態に同符号の電荷が存在するようなモードを選んでいます(図1).これは,異符号の場合より,バックグラウンド事象を抑える上で有利だからです.

今回公表されたのは,本研究室大学院生の脇坂隆之君が中心となって行った 1.9 fb−1 の陽子・反陽子衝突事象のデータ解析の結果です.ヒッグス粒子生成・崩壊事象と バックグラウンド事象を区別するための簡便な事象選別条件を適用して最終的に残ると期待される事象数は, 質量が 110 GeV/c² である fermiophobic higgs の場合に 0.5 であるのに対して, 同じ条件を満足してしまうバックグラウンド事象数の見積りは 3.2 で,SN 比は 約 1/6 となっています.これは,困難なヒッグス粒子探索研究の中でもトップクラスの高い数字です.実際のデータを見てみると 3 事象が残りました.これは,バックグラウンド事象の期待数とほぼ一致しています.ヒッグス粒子生成を証拠付ける結果には至っていませんが,この事実より,図6 に示すようにヒッグス粒子生成断面積の上限値が計算されます.図では理論計算が与える予想値も曲線で示しています.それらは,実験から得られた上限値よりも小さいので矛盾はなく,理論に制限を与えてはいません.今回の解析では,探索研究の基本である,しかし決して容易とはいえない,バックグラウンド事象とヒッグス粒子検出効率の理解に重点を置いたため, 高次元の解析内容である選別条件の最適化は十分なされているとはいえませんが, いわば単純な解析手法を用いても比較的高い SN 比が得られたので,探索能力のポテンシャルの高さが示されたといえます.Tevatronでは今後もデータ収集が進められていくので, 発見に近づくように解析手法をさらに改善すべく研究を続けています.